咸宁舰历史馆

冲月

興津 (砲艦)

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興津(おきつ)は、日本海軍の砲艦。本艦の前身はイタリア海軍のアツィオ級敷設艦(it:Classe Azio)「レパント」で、本艦はこれを接収したものである。艦名は現在の静岡県静岡市清水区の景勝地「興津」にちなむ。


旧イタリア海軍敷設艦「レパントLepanto」で、太平洋戦争の戦利艦(厳密には元同盟国放棄艦艇の再利用)である。イタリアマルケ州アンコーナ県の県都アンコーナのリウニーティ造船(Cantieri Navali Riuniti:CNR)で建造。1933年(資料によっては34年や35年とも)に上海に到着後は砲艦として使用された。第二次世界大戦でイタリアが降伏したため、1943年9月9日に上海で自沈した。


同艦を大日本帝国海軍の第一海軍工作部が引き上げて復旧整備を実施し、1944年3月1日軍艦籍に編入して「興津」と命名し、砲艦に類別した。佐世保鎮守府籍[1]。その後は上海高雄間の船団護衛などに従事した。1944年10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。


終戦時には舟山列島にあった。その後、中華民国に接収され国府海軍の「咸寧」[2]となった。1950年6月に米軍式装備とし、3インチ砲3門、40mm機関砲2門、20mm機関砲4門となった。1956年除籍。


興津艦長

(注)1944年10月1日以降は「砲艦長」。


濱崎長太郎 少佐:1944年3月25日 - 1945年2月5日

(臨時)杉山忠嘉 少佐:1944年10月3日 - 1944年11月1日

肱岡虎次郎 少佐:1945年2月5日-